
生きたい場所で生きる人の旗印に。京都移住計画代表・田村 篤史さんが来札!第2回「ほっとけないSHOW」
第2回となる「ほっとけないSHOW」のゲストは京都移住計画代表・田村 篤史さん。質問や意見の飛び交う和やかな雰囲気の会場で、人口変動で変わっていく地方の未来や、北海道と京都の意外なつながり、移住計画についてお聞きしました。
「896/1700」の日本で、これまでの前提が成り立たない時代に生きる
五十嵐:では、本日のゲストは田村さんです!
田村:よろしくおねがいします!ところで、今日来ていただいた方で京都に来たことあるっていう方はどのくらいいらっしゃいますか?
五十嵐:おお、けっこういますね。
田村:よかった、さっきスタッフさんに北海道の人は修学旅行で京都に行かないという話を聞いていたので…。今日は京都と北海道のご縁も話しつつ、「移住計画」ってなんぞやというところも話していきたいですね。
田村:今日は、「僕らはどんな時代に生きているのか?」というテーマから話していきたいと思います。
五十嵐:おお、超おもしろそう!
田村:まずはこれ。「896/1700」、これ何の数字だかわかりますか?じゃあ、そこの方!

会場:うーん、正直わからないですけど、市町村数とか?
田村:そう!市町村が約1700あるんですが、そのうち896の市町村が2040年から女性人口が半減する自治体である消滅可能性都市なんですね。しかも、北海道の市町村に多い。本当に「ほっとけないどう」なんですよ!
五十嵐:あはは!
田村:そもそも日本は、2020年には女性の2人に1人が50歳以上になると予測されています。じゃあ、西暦3000年の日本の人口って想像できますか?減っているだろうという予想はできると思うんですけど、どのくらいの数字になるのか。
五十嵐:そもそも、人類が滅びている可能性があるよね!
田村:それはなしで!(笑)あとは、海外移民無しで、今の出生率が変わらない前提で考えた場合の話です。

会場:3000万人くらいですかね?
田村:なるほど。それより少ないだろうって考えている人はいますか?
会場:2000人くらいでしょうか。
田村:もう、そうなると絶滅危惧種ですよね。では、正解を。日本の人口は西暦3000年で、1000人になると国の資料で予想されています。
五十嵐:おお・・・。
田村:ある程度の人口規模で減少は鈍化して一定数保ち続ける説もありますが、。とにかく僕らが生きているのは人口減少の時代であるということ。つまり、これまでのあらゆる前提が成り立たなくなっている時代なんです。今まで正解だったものが、そうでなくなっていくんです。だから、正解主義よりも修正主義というスタンスで、とにかくやってみてその都度修正していくというのを大事にしていければいいかなと考えています。「ほっとけないどう」のスタンスとも似ていますかね!

田村:今日は「ほっとけないどう」のイベントということで、僕が移住計画をはじめるまえに、自分の中の”ほっとけない”ものをどうアクションにつなげたのかについて話したいと思います。僕の場合は「言ってみる、聞いてみる」「小さくはじめる」「仲間とはじめる」、「ゆっくり続ける」ということを意識してやっています。例えば、僕はいつかは京都に帰りたいと思っていたんだけど、それを1人で考えない、1人で行動しないようにしていました。みんなで、京都に戻るための計画をしてみないか、と巻き込んだんです。もちろん今すぐみんながアクションすることはできないけど、計画するだけなら机の上ででもできる。もっと地元に帰りやすい社会にならないかなと思ったんですね。でも、地元から離れると地元のことはわからなくなってしまう。だから面白い仕事、場所、人をシェアしていこうと。
田村:Tunagum(ツナグム)という僕の会社では、人材不足や人口減少、場所の活用などの問題をアイデアで解決しています。例えば、移住を考えている人とすでに移住した人をつなぐ交流の場。「移住を考えている人、ようこそ!」というスタンスの交流の場をたくさん作ってきました。例えば移住をしようというときに、まっさきに移住先に働き口があるのかどうか考えますよね。でも、地元には地元民も知らないような面白い企業がたくさんあるんですよ。京都だったら、年間で4000万体のお守りを作っている会社とかですね。

五十嵐:4000万って、すごいシェアなんじゃないですか!?
田村:そうなんです。でも、京都に住んでいてもそんな会社があるっていうこと知らなかったりするんです。あとは、北海道とゆかりのあるところでいうと、お出汁を作っている会社の採用を手伝ったりもしました。京都の料理は出汁が重要で、鹿児島の鰹節や北海道の利尻昆布を使っているのですが、利尻の漁師が高齢化して昆布が取れなくなったら京都の料理文化が終わってしまうんです。そういう意味では、京都人も北海道を”ほっとけない”んですよね。
田村:住居の話で言えば、どこにでもあるきれいな物件というよりは、もとからあるものに手を加えて住みやすくするような家を紹介しています。やっぱり古い建物を残さないと、京都の町並みがどんどん変わっていきますからね。町家にしても、年間700件くらいなくなっているので、それをどうにか残していけないかということを京都市も考えているんです。そこで、個人と企業と行政をつないで、移住支援の一環とする取り組みをしていますね。
五十嵐:今は全国で「移住計画」の立ち上げが進んでますよね。北海道もそうだし、最近だと群馬や島根、岡山とかも立ち上げをしたいって聞きました
田村:そうですね。やっぱり進学で都会に出てきた人って、そのまま行くと都会で就職して、地元に戻らないんですよ。地元のことは高校時代までの記憶しかないから、面白い場所とか今起こってること、地元のピンチやチャンスがわからないんです。そういう興味を大学時代や若手社会人のうちにどれだけ向けられるかが大事ですよね。育った場所の面白さに気づいてもらえたり、なにか誰かに出会えたら変わるかもしれない。各地の移住計画が、そういう役割を担えるといいなあと思います。

札幌と京都。移住計画で見えてくる違いと共通点
五十嵐:京都移住計画は、いつからはじめたんですか?
田村:東日本大震災をきっかけにはじめたので、2012年からですね。今年で7年目です。札幌移住計画はどのくらいですか?
五十嵐:今年で5年目くらいかな。やっぱりきっかけは京都移住計画ですよ。僕自身が大学から東京に出たんですけど、いつか北海道に戻りたいと思っていながらも、パワーのあるやつほど北海道から出ていく構図があったので歯がゆさを感じていました。そのパワーが北海道に集まったらすごいことになるのに!って。だから、京都移住計画を知ったときは「そうそう!それをやりたかったの!」って大共感しましたよ。そこから周りに声をかけて、札幌のIT企業のメンバーとつながって、とにかくやってみましょうかと始めたのが札幌移住計画ですね。京都移住計画と違うのは、企業の経営者層が最初から集まっていたということかな。企業の寄り合いでもあるし、個人でもある不思議な寄り合いですね。メンバーも固定していない、イベントベースのゆるいつながりです。
田村:じゃあ、メンバーに入りたければ入れるっていう感じなんですか?
五十嵐:どうぞどうぞ、っていう感じですよ!たまに連絡が来て、定例会議に混ざってもらっています。でも、札幌移住計画は有志でやっているんです。お金が生まれないんですよね。これを続けていくにはお金を生み出す仕組みが必要で、そこが転換期になるかなという感じですね。京都移住計画はどうなんですか?

田村:京都移住計画の枠組みは半官半民みたいな感じなんです。求人や不動産仲介などのマッチングはマネタイズしやすいので、そこが収益の柱ですね。あとは、京都府や京都市から移住関連の事業を受託している形です。都市規模は札幌のほうが大きいので、マーケットとしても成立するんじゃないですかね。
五十嵐:京都の行政の方はどんな温度感でやっているんですか?札幌移住計画を立ち上げたときに札幌市に話を持っていったんですが、「まだ人は道内から流入しているから」と断られたんです。でも、流入しているのは北海道の各市町村からの高齢者で、若者は東京に出ていってるんですよ!そこのギャップがまずありました。最近は札幌市も移住に力を入れ始めたんですけど、札幌の学生を外に出さないようにする方向で考えているんですよね。それもひとつなんですが、僕はどうしたら札幌に戻ってきたくなるかというほうが大事だと思うんですよね。
田村:それでいうと京都も似たりよったりですよ。やっぱり、京都から出て行かせないで京都の中小企業に入ってほしいっていう意識がある。でも、意識が高い子は東京に行っちゃいますよね。それを止めるのは難しいと思います。だから、なんのために東京に行くのかというのをベースに考えたいんです。東京で仕事してスキルを身につけて、京都に帰ってきて起業しなよ!という感じで。例えば島根県の海士町は、地元から都会へ送り出すのを応援する文化があるんです。応援して、恩をきせるというか(笑)。ブーメランみたいに、弱めに投げると落ちるけど、強く投げると戻ってくる感じですよね。そういうことを、京都でも札幌でもやれるといいですよね。

中屋:田村さんに今日ぜひ聞きたいのは、移住計画がうまくいっている地域とそうでない地域の違いですね。うまくいくローカルプロジェクトの立て方とか、地方によって特色とかあるじゃないですか。
田村:ビジネスライクにやれる移住計画と、ボランタリー的になる移住計画があるなというのは感じますね。なぜビジネスとして成り立つかと言うと、まずは人口規模だと思います。福岡や京都、札幌は、求人や不動産などで人口規模的に十分成り立つポテンシャルがありますよね。うまくいかない原因の一つとしては、自治体の協力があるかどうかもあると思います。ビジネス的持続可能性が低い場合、自治体がいっしょに前のめりに移住計画を進めてくれるなら、いい形になるような気がします。。その街でいっしょに移住計画を育てていこうとするのが大事かなと思います。
中屋:確かに。当事者意識というか。
田村:ただ、自治体から予算がおりている場合でも誰と何をやればいいかがわからなくて、東京の代理店に丸投げしたりする場合もあるんですよ。数千万円使って、バズる動画を作りましたとか。
中屋:ああ、いくつか心当たりがありますね…。
田村:とある自治体で数千万円くらいの予算がついて、地域に人を呼び込むための企画を東京の広告代理店にいくつか提案をさせていたんです。そこで「ほっとけないどう」のような企画も出たそうですが、継続的にやってコミュニティや仕組みを作る企画と、バズる動画を一本制作するのどちらにしますか?と聞かれたときに、行政の担当者が動画のほうを選んだんですよね。「ほっとけないどう」みたいな企画をやると、自分が忙しくなるのがわかっていたから。だから、やっぱり大事なのは自治体側がどうやって予算を使うか、何を作るかのマインドだと思います。だって、数千万円あったら、例えば当事者意識をもった年収1000万円の人材を引っ張ってくることもできますよね。そういう考え方ができるかどうかが、うまくいくかどうかの線引かなと。

自治体と民間の協働、キャリアデザイン。2040年の地方はどうなっている?
会場:質問よろしいでしょうか!おふたりの、20年後に自分たちがやっていることの着地点というか、こうなっているんじゃないかというヴィジョンや思い描く世界があったら教えていただきたいです。
五十嵐:田村さんが最初のほうで話していた人口変動や人口減少って、今の時点でそれを感じている人と感じてない人がいると思うんですよ。明らかに働き方が多様化していて、場所を選ばずに働けるようになっているし、そういう流れは今後もどんどん進んでいきます。そうなったときに、誰と仕事してどう生きるかを、今より選びやすくなっているはずです。そういう新しい経済圏が生まれつつも、ずっと続いてきた資本主義からはどうやっても逃れられない。その時代の変化に対応できるかどうかで、街単位では勝ち負けがはっきり分かれてしまうはずです。自治体と民間がいっしょに走れているなら面白いことが生まれていくだろうし、そうでないところは消滅してしまうんだろうなと思います。

田村:僕は、それと別の切り口で2つお話しますね。まずは、京都に来た地方出身の人を返すっていう流れを僕の会社と自治体で作っているんですが、それを大学のキャリアデザインのスタンダードにしたいと考えています。東京一極集中の要因の一つは、大手就活サイトに登録して就活するっていう社会システムにあるんです。でも、その就活サイトに載っているのはすべての会社の0.6%なんですよ。そこに大学生が集まって、椅子の奪い合いをしている。でも、今は一社目にどう入るかっていうファーストキャリア重視ですが、人生ってもっと長いじゃないですか。100年生きる時代なのに、キャリアデザインと言われると一社目にどう入るかということばかり語られる。そこで、例えば最初の十年は東京で、そのあと地方に行く、そこで子供を育てる、といったことを早い段階から考えていったほうがいいし、地元に戻るということが選択肢の一つとしてスタンダードになっていく未来があればそれが地域の未来になるはずです。
田村:もう1つは食べ物ですね。生きていけるかどうかを「食っていけるか」と表現するように、食って重要なベースなんです。そこが担保されていれば、稼いでいなくても暮らしていける。だから、食を牛耳っている北海道は強いなと思いますね。

五十嵐:今日は何かをはじめようというマインドの、挑戦者たちの集まりです。田村さんから挑戦者へ、最初の一歩をどう踏み出せばいいのかお聞かせいただきたいです!
田村:一番かんたんなのは、周りに言うことですよ。「叶う」という言葉は、口に十と書きますよね。だからやりたいことがあったら、10人くらいに言うことからはじめるといいと思います。そうすると、誰かを紹介してもらえたり、情報が集まってきます。だからまずは、周りの人たちに自分のやりたいことを伝えることですね!

〈ゲストプロフィール〉
田村 篤史さん(たむら あつし)
京都移住計画代表(株式会社ツナグム 代表取締役 聴き手)
1984年生まれ、京都府長岡京市出身。
立命館大学卒業後、人材関連会社に就職。転職支援や企業の採用支援を行う。
東京の人材紹介会社に勤める傍ら、自らが京都に戻るため、2011年に「京都移住計画」を立ち上げる。 現在はフリーランスとして、キャリア支援、商店街、町家などのキーワードで様々な組織やプロジェクトの中での働き方を実践中。

(ライター 谷 翔悟)
(写真 ヤリミズユウスケ / 中嶋 恭朗)
