震災に対して、クリエイティブができることを。BRIDGE KUMAMOTO・佐藤かつあきさんが登壇!第3回「ほっとけないSHOW」

第3回「ほっとけないSHOW」のゲストは、BRIDGE KUMAMOTOの代表理事であり、BLUE SEED BAGを手がけたクリエイティブディレクター・佐藤 かつあきさん。北海道ゲストに、雑誌・Webメディア Magazine 1988の編集長であり道東のクリエイターをつなぐ一般社団法人 ドット道東を立ち上げた中西 拓郎さんをむかえ、クリエイティブの裏側にある苦労や、仕事と切っても切り離せないお金の話についてお聞きしました。

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「自転車屋が自転車に空気入れないでどうするのよ」震災直後の出会いがきっかけで始まったBRIDGE KUMAMOTO

五十嵐:本日のほっとけないSHOWは、熊本から佐藤かつあきさんをお迎えしてお送りします!

佐藤:いやあ、サッポロビールのイベントだけあって、会場の雰囲気が明るくていいですね!暑い日にビールを飲みながらやる。イベントってこうあるべきだなって思いますよ。

五十嵐:熊本も焼酎飲みながらやれるじゃないですか!(笑)

佐藤:たしかに熊本にも焼酎、日本酒あるけどね!札幌の地下鉄は窓が半分ぐらい開いてて涼しかったし、いろいろ羨ましいですよ。

五十嵐:佐藤さんといえば2016年の熊本地震をきっかけに立ち上がった「BRIDGE KUMAMOTO」や、震災で屋根にかぶせたブルーシートを再利用したトートバッグ「BLUE SEED BAG」などのプロジェクトですが、それは本業とは別の取り組みだったんですよね?そもそも、どうして九州に関わるようになったんですか?

佐藤:僕は東京でクリエイティブディレクターをやっていたんだけど、2人目の子どもが生まれるタイミングで妻の実家のある熊本に移住したんです。自分自身も長崎出身だし、東京で子どもを2人育てるというイメージがどうしてもわかなかったから、一回九州に帰ってみようかなと。移住して3年後に熊本地震が発生して、自分自身が被災者になったことから「BRIDGE KUMAMOTO」や「BLUE SEED BAG」の活動につながるんだけど、そもそも僕は社会活動とかボランティアにあまり興味のある人間ではなかったんですよ。自分の生活がまず第一だし。

五十嵐:あれ、そうなると佐藤さんのスイッチが切り替わったきっかけは?

佐藤:すさまじい本震があって、インフラも全部止まって仕事ができなくなって、とりあえず街の様子を見に行こうと出歩いてみたら、とある自転車屋を見かけたんです。窓ガラスも割れて、中もぐちゃぐちゃなんだけど、お店のおじさんが中にいて”営業中”って札が立ってる。なにやってるんですか?って聞いたら、「阪神淡路大震災のときに自転車があって助かったから、きっと今回も必要だろ。こういうインフラがだめになったときに、自転車屋が営業しなくてどうすんのよ。」って。自転車なんか売れなくていいから、空気入れを提供したいって言ってたんです。

佐藤:その姿勢に感動してその場で自転車を注文したんですよ、欲しいわけでもないのに(笑)。熊本城みたいな黒に、加藤清正の槍のイメージでオーダーしたら、おじさんが嬉しそうに組み立てるわけ。地震の後、初めてのお客さんだよ!って。精算してみたら、全部で17万8500円したんだけど。

五十嵐:えー!めっちゃ高い、いい自転車じゃないですか!

佐藤:ただ、被災して1ヶ月くらい自分は何もできないわけだけど、公務員とか医療機関のみなさんは、事態の解決にいろいろ動いているわけじゃない。なんかクリエイティブディレクターである自分って肩身が狭いなって。自宅はあんまり被害の大きくないところだったし、仕事はないけど体は元気なわけだから、なにかしないとなって。自転車屋のおじさんだってできることをやってるんだから、自衛隊や警察じゃなくてもなにかできることがあるんじゃないかなと思って、仲間に声をかけて「BRIDGE KUMAMOTO」を立ち上げたんです。

五十嵐:そこで実際に行動に移るわけですね。

佐藤:そうですね、とりあえずボランティアセンターに集まったりとか。そこで仲間と話すなかで、東日本大震災の津波でボロボロになった大漁旗を回収してミサンガを作る活動を知ったんです。収益も上がるし、震災前に大切にしていたものが形を変えて手元に戻ってくるのはいいよねって。熊本で同じことをやろうと考えたときに、被害を受けた20万世帯が使っているブルーシートでなにかやれないか考えたのが「BLUE SEED BAG」の始まりですね。

五十嵐:瓦が落ちたり損壊した屋根に張っていたブルーシートを再利用して、バッグにするプロジェクトですね。どんなコンセプトで作り始めたんですか?

佐藤:非言語的で、海外の人にも受け入れてもらえるようなデザインをイメージしていました。ブルーシートは熊本地震を象徴するものですが、そのネガティブなものをポジティブなものに変えるというファンクションがある。さらにゴミになるものを再利用する、デザインも生産も熊本で行う、売上も寄付されるという要素がありますよね。「REMAKE, RETURN, REMIND」という3つのキーワードが入っているのがBLUE SEED BAGなんです。

佐藤:他にも、2017年には「BRIDGE KUMAMOTO CHALLENGE」というプロジェクトをやりました。熊本地震で崩落した阿蘇大橋をテーマに想像の橋をかけようということで、あやとりで橋を作っている写真を1000人分集めるという、いわば新しい千羽鶴のようなソーシャルキャンペーンです。このプロジェクトはいろいろなところに拡散されて、あやとりも商品化したんですよ。大阪の会社にダメ元で発注したら、オリジナルの紐で作ってくれることになって。そんな感じで節目節目でいろいろと企画をやっているんですけど、始まりは「自転車屋のおじさん」との出会いですね。

道東のメディア編集者・中西 拓郎さんをむかえ、南北のクリエイターがクロストーク!

五十嵐:さて今回は、北海道ゲストとして中西 拓郎さんをお呼びしております!

中西:よろしくおねがいします!

五十嵐:中西さんは千葉県で就職したあと地元・北見にUターンして、2015年に道東をもっと刺激的にするメディア「Magazine 1988」を立ち上げたんですよね。

中西:当時は北見や道東のことを知りたいと思っても、情報がまとまったメディアがなかったんですよ。じゃあ自分でやろうと思って、まったく経験もスキルもないなか始めたのが「Magazine 1988」なんです。1冊80ページくらいの紙媒体を、1年間で8冊出しました。

五十嵐:8冊!それってすごいハイペースじゃないですか!?

中西:メディアをやろうと思い立ったときに、自分が雑誌とか好きだったからWebよりも紙でやりたい気持ちがあったんです。「やっぱメディアやるなら雑誌っしょ、雑誌っていったら月間っしょ!」っていうノリで月イチ発刊していたんですけど、3冊くらい出して「これはしんどいな」って思い始めて(笑)。その後はWebメディアとして「1988」を立ち上げて、オンラインで記事をアップしています。

中西:他にもイベント企画やブランディングなど、仕事は道東を中心にやっていますね。最近は、道東や北海道のクリエイティブをサポートする一般社団法人「ドット道東」を立ち上げて、地域のフリーランスやクリエイターと活動しています。

佐藤:今日は中西さんに渡そうと思って、九州から東シナ海の海水を持ってきたんですよ。オホーツク海も流氷がきたりしてきれいだと思うけど、東シナ海は野生イルカがいたりするいいところなんです。空港の手荷物検査係の人に「海水です」って言ったらめちゃめちゃ変な顔されたんだけど(笑)。

中西:おお、ありがとうございます。網走で海に撒いてこようかな!

ローカル仕事のお金、どうしてる?予算とクオリティの狭間で

五十嵐:お二人にお金とか、仕事と活動のバランスの話を聞きたいですね。中西さんは影響力のあるクリエイターを道東に呼ぶイベント「道東誘致大作戦」の経費をクラウドファンディングで集めましたよね。

中西:全体の経費はまかなえたんですけど、個人の細かい出費は自腹なのでトータルで考えると赤字でしたね。

五十嵐:そういうバランスってどうなんですか。佐藤さんも、「BRIDGE KUMAMOTO」であやとりを売ったりしていましたけど、大きな利益が出るようなものでもないですよね。

佐藤:僕らの活動は本業ありきでやっているので、あまり気にしてはいないですね。

中屋:でも、もう本業とごちゃまぜになってない?

佐藤:なんていうか、課外活動みたいにはなってますね(笑)。

中西:佐藤さんにローカルで活動するクリエイティブディレクターとしての仕事について聞きたいんです。クライアントの依頼に対して、いろんなクリエイターを絡めれば仕事のクオリティをあげられることはわかってるけど、予算オーバーになっちゃう案件があったときどうしてますか?もっと僕に余剰資金があれば「自分が出します!」みたいな力技もできるんだろうけど、現状は「もっとこうすればいいのに」と思うだけなんですよ。

佐藤:ああ、本当によく分かる。僕も、今でもそうですよ。クリエイティブディレクターってデザイナーやライターを案件に差し込むキャスティング仕事だけど、どういうふうに組み合わせるかはいつも悩みますね。やっぱりそれぞれのクリエイターが設定する仕事の単価があるわけだけど、もう正直にこっちの予算の上限とクリエイター側に払える金額を伝えて、それで引き受けてもらえるかどうか聞いたりしますね。それで実際、彼らも譲歩してくれているんだと思います。「お前の仕事なら、その値段でいいよ」って。

中西:その予算自体をどうふくらませるかってありますよね。でも、クライアント側にも売上との兼ね合いとか都合もあるから、単純に「もっと予算つけてください」っていうのも越権行為だと思うし。

佐藤:そうなるとお金のとり方を考えたほうがいいかもしれないですね。例えば一定の報酬ではなく、売上と連動した報酬をもらうとか。そういう案件ばかりだと生活していけないんだけど、自分で取りに行く仕事や誰かが持ってきてくれる仕事以外にも、種を植えて収穫をするようなタイプの仕事があるのがいいんじゃないかと思いますね。

中西:それを、道東でいっしょにやっていける企業を見つけるのも課題のひとつです。もちろん予算がたっぷりある案件もありがたいんですけど、そうではない、作っているものはすごいけど広告宣伝にお金を回せない企業なんかもありますからね。僕は道東に徹底的にこだわっている人間なので、生活するお金を稼ぐなかでも、できるだけ道東のためになる仕事をしたいんです。

五十嵐:どこかでひとつ、成功例をつくれると上手く進みそうですね。

クリエイティブの裏側は、地味で泥臭い。それでも波風を立たせるために、石を投げ続ける

中屋:佐藤さんは長崎出身ですけど、熊本で活動しはじめるときはどういうふうに仕事を広げていったんですか?

佐藤:熊本に来たばかりのころは、家族以外に知り合いもいなかったし、大変でしたよ。当時はケーキ屋さんでケーキ売るバイトしてたもん。

中屋:東京でデザインとかアートをやっていた人が、熊本でバイトしてたんですか!?

佐藤:移住した当初は、奥さんの実家に住ませてもらっていたんです。でも、上下スウェットで平日の昼間に居間でパソコン仕事してると、ご両親とか周りに「あいつ、大丈夫か?」って心配されるわけですよ。居心地が悪くなって就職活動を始めるんですけど、なかなか条件が合わなくて困ったなということで、ケーキ屋さんでバイトしてたんです。でも、バイト代は天草市から熊本市内へ移動するガソリン代で消えちゃうんですよ(笑)。

中屋:もう、ただの暇つぶしみたいな感じじゃないですか!

佐藤:そのままうまく事業部とか広報とかに入りこめないかなって考えてたんですけどね(笑)。でも、いろいろあってケーキ屋さん自体がなくなることになって、じゃあ独立しようかなと。ただ、最初はぜんぜん仕事が来なかったですね。

五十嵐:その状態から、どうやってブレイクスルーしたんですか?

佐藤:とある地域の町おこしの会合に出たときに、熊本大学の教授に出会ったことがきっかけで「ロボリーマン」というキャンペーンをやったんです。僕がロボットの被り物をして、職場でできるストレッチやコンビニ食材でつくれる料理を紹介するというWebコンテンツなんですが、動画を発信したり新聞に載ったりするうちに、少しずつ「変なことをやる面白いやつがいる」という情報が広がっていって、市役所や協会けんぽから仕事が来たりするようになりました。

中西:それって、地元のクリエイターといっしょに作ったんですか?

佐藤:いや、ほとんど僕ひとりでやってました。

中屋:当時のこと、覚えてますよ。佐藤さんに会ったときに「これから撮影あるんだよ」って言ってたんですけど、スーツを着た佐藤さんとカメラマンしかいないんですよ。ロボリーマンの被り物をして、熊本城をバックにちょっとたたずんで、それで撮影終わり。「え、これで終わりですか!?」って。

佐藤:一人で監督も出演もやってますからね。でも、全日本シーエム放送連盟の「地域ファイナリスト」に選ばれたりしてるんですよ。韓国のクリエイターが見つけてくれてシェアしてくれたりして、世界中から連絡が来るようになったりもして。

中西:製作の裏側って、泥臭いですよね。僕もキッチンカーと車のトランクを使ったフリーマーケットを企画したんですが、宣材画像でイケてる車のトランクにイケてるものを載せている写真が欲しかったんです。そこで地元の先輩に車を貸りる流れになったんですが、「いま車でパチンコ屋に来てるから、駐車場で撮って!」って言われて。結果的にキービジュアルはきれいに仕上がったんですけど、見返すたびに「これ、パチンコ屋に入って先輩探して鍵借りて、雑貨並べて写真撮って原状復帰して鍵返したんだよな」って思い出します(笑)。

中屋:ロボリーマンの写真も映画のポスターかっていうくらいすごいんですけど、実際は本人が被り物をして低予算でやってますもんね。

佐藤:ありがたいことに「どこの代理店がやったんだ?」って言われたりしてたんですけど、実はひとりでやっていたっていうギャップが大事かなと思います。アウトプットとかクリエイティブで判断しちゃだめですよ。ひとりでやることでエゴを突き通せる利点もあるし。

中屋:やっぱり、ひとりで引っ張っていくのは重要ですよね。そっちのほうがフットワーク軽く、自分の気になる方向に石を投げて波風立たせられる感じ。それで自分のやりたいようにやった結果、たった数人でも熱狂させられるならすごく大きな価値があると思いますし。

佐藤:何かを形にしたかったら、とにかく石を投げることが大事ですね。メールとか、問合せフォームから連絡してみるみたいな。何かやりたい企画があったら、僕はとりあえず思いついた単語で検索して、出てきた順に問い合わせるんですよ。向こうからしたらよくわからない連絡が来たという感じなんでしょうけど、それで返信が来る人とはたいてい面白いことができるんですよね。

中屋:うちの会社も求人情報は出していないんですけど、少し前に問合せフォームから「いっしょに働かせてもらえませんか?こういうことできます!」っていう熱いメールが届いて、ついつい採用しようかなって思っちゃいました。経営者とか企画者って、やっぱりどこかで誰かに思いをぶつけられたいっていう気持ちがあるのかもしれませんね。

五十嵐:今回、中西さんをお誘いしたのも、ほっとけないどう事務局からの思いをぶつけた形です。「ほっとけないどうをほっとかないでくれよ!」っていう(笑)。そうやって少しずつでも、しっかりつながっていければいいなと思います。

五十嵐:最後に、佐藤さんと中西さんから、北海道の挑戦者たちにメッセージをお願いします。

佐藤:さっきも話題にあがったように、製作の裏側って地味で孤独なんですよね。「これ、自分以外に誰か観てるのか?」って疑問に思っちゃうことも多い。でもそんなときでも企業の社長がチェックしてくれて、トントン拍子で事業が大きくなった経験もありました。何か新しいことをやろうとすると「それじゃあ失敗するよ」とか「そんなことやって何になるの?」なんて言ってくる人が寄ってきます。そんな声には耳を貸さないで、自分の好きなようにやってみてください。

中西:僕はいつも、お客さんに「こんなことやりたいんだけど、中西くんできる?」って言われて、どうやればいいかもわからないのに「やれます!」って見得を切って、なんとか山盛りの課題をクリアしてきたんです。その帳尻合わせがクリエイティブというものなのかなと思います。できることだけやるんじゃなくて、尻に火がついて必死になるみたい感じですかね。だから、やりゃできる、やっていきましょう、ということを伝えたいですね。

〈ゲストプロフィール〉

佐藤 かつあき(さとう かつあき)
一般社団法人BRIDGE KUMAMOTO代表理事(かつあきデザイン 代表)
1978年、長崎県佐世保市生まれ。
2010年、妻の故郷である上天草市大矢野町へ転居。11年、熊本市内に広告・映像制作会社「かつあきデザイン」設立。2016年熊本地震をきっかけに「クリエイティブの力で復興支援」する団体「BRIDGE KUMAMOTO」を設立。「BLUE SEED BAG」は2017年グッドデザイン賞「ベスト100」特別賞(復興デザイン)」、2019年イタリア最大の国際デザインアワード「A' DESIGN AWARD Bronze」受賞。他にも、「社会をより良くするためのプロダクト」のアイデアコンテストなど様々なプロジェクトを行う。

中西 拓郎(なかにし たくろう)
『道東をもっと刺激的にするメディア Magazine 1988』運営
1988年生まれ、北海道北見市出身。防衛省入省後、2012年まで千葉県で過ごし、Uターン。2015年、『道東をもっと刺激的にするメディア Magazine 1988』創刊。2017年、一般社団法人オホーツク・テロワール理事・『HARU』編集長就任。ローカルメディア運営他、編集・プロデュース・イベント企画に『道東誘致大作戦』など。幅広く道東を繋ぐ仕事を手がけている。
Twitter:@takurou1988
WEB:http://dotdoto.com/ http://1988web.com/