
第8回ほっとけないSHOW@札幌大人座 旅するプランナー&誰かの居場所をつくる会社
新年1発目!2020年1月10日(金)19:00~ほっとけないBAR(大人座)で、第8回「ほっとけないSHOW」が開催されました。福岡県より旅するプランナーの大塚智子さん、道内ゲストに合同会社Staylink共同代表の柴田涼平さんをお招きしました。
「どうなっちゃうの?を、やっちゃうの!」
ほっとけないどうは、2019年6月6日にローンチしたプロジェクトです。サッポロビールと一緒に北海道で挑戦する人、応援する人をどんどん増やしていくようなプラットホームを作ろうというところからスタートしました。「どうなっちゃうの?を、やっちゃうの!」くらいの気持ちじゃないと、新しいことは始められないよね!という強い想いがあります。プロジェクトをローンチしてから半年。オンラインコミュニティDO!民も、ついに1000人を超えました。DO!民の目標は、北海道の人口を超えること!という意気込みで、行動(=DO)する人を日本中に増やしていきたいと思っています。

今回は、ゲストに福岡県から大塚智子さんをお招きしました。ソフトバンクグループにおいて人事・検証エンジニアとして7年間勤務した後、Mistletoe株式会社においてインキュベーションプロデューサーとして4年間、起業家の方々のサポートに従事されてきました。現在は主に、温暖化や自然災害に関する各国取り組み事例研究を進める一方で、キャリアコンサルタント、心理士として起業家の方々のサポートを行っていらっしゃいます。多岐に渡る活動をされている大塚さんの今までとこれからの挑戦をお話頂きました。
そして道内からは、札幌を中心に7軒の宿泊施設を運営しながら、ゲストハウスを起点に様々なプロジェクトを仕掛けている合同会社Staylink共同代表の柴田涼平さんが登壇します。「旅」をする大塚さんと「旅人を迎える」柴田さん。ふたりの視点や大切にしているもの、仕事を次々と生み出す秘訣をお聞きしました。

福岡県:旅するプランナー・大塚 智子(オオツカ トモコ )さん
熊本生まれ、福岡育ち。大学で地域経済を学んだのち、IT企業で人事・検証エンジニアとして7年間勤務。その後、創業支援事業に4年半携わる。個人の活動として、地域コミュニティ・教育・キャリア形成に関するプロジェクトに多数参画。2011年の東日本大震災以降、現地で家屋清掃やマッサージなどのボランティアに参加しながら、現地における「震災関連死」という問題に向き合い、心理学を学び始める。その過程において、Bridge Kumamoto、Take Peace Projectをはじめとした復興に向かうプロジェクト活動に参画し、防災士、防災介助士として地方自治体の防災計画の相談をお受けすることも。現在は主に、公(Public)と参加モチベーション(Fun)を繋いだ共感設計、および地球環境をテーマとした国内外の事例研究を中心軸として活動中。心理士、キャリアコンサルタントとして企業や個人の方のサポートを行っている。希望を持って生きられる人が増える世界を目指し日々邁進中。

仕事に疲れて、海外を旅した1年間
大塚:みなさん、はじめまして。大塚 智子と申します。私は、福岡県出身なのですが、生まれは熊本で、父の実家がある福岡の八女茶の産地・八女で今も暮らしています。今日は東京から来たのですが、全国を旅しながら、スーツケースひとつで生活をしています。東京には13年くらい住んでいました。ソフトバンクに入社して、携帯電話の検証エンジニアや人事として7年間勤務していたのですが、在籍中に起業したいと思って立ち上げていた教育プロジェクトがあり、本腰を入れてやりたいと思い退職。その後、ご縁があって起業家支援の会社に入りました。4年半勤めたのですが、後半の2年間は福岡県にUターンして防災事業を進めていました。退職後、昨年1年間は海外34カ国を放浪。野宿をしたり、自転車で巡っていたこともあったので、危ない目にも遭いましたが、無事生還してきまして、昨年の1月にフリーランスになり今、2年目に入りました。

世界で起きてることを肌で感じて
大塚:現在、今もまさになんですけれど、オーストラリアで森林火災が起きていますよね。ああいった問題が、オーストラリアだけじゃなく世界で起きていることを、旅をしていて気付きました。なにか取り組める事例を増やしていったり、事例を伝えていく側になりたいと、模索しています。困った人の背中を押すような仕事をしたいという思いがあり、旅をしながら、様々な場所で活動しています。よろしくお願いします。
北海道は、初めてなんです。どれだけ寒いだろうと緊張していましたが、携帯電話の検証担当でアメリカに出張していた時期、マイナス30度の気温を体感したことがあったのと、Mistletoeという起業家支援の会社で働いていた時期、フィンランド北部にも行ったのですが、そこはマイナス25度だったことがあって。意外と、寒さは大丈夫でした(笑)
昨年は、大分県別府市で市民・学生大同窓会という公式イベントの制作に携わったり、和歌山県の高野山で地方創生会議の運営に参加したり、あとは防災士と防災介助士でもあるので、色々な地域で、隣のおばあちゃんが逃げ遅れてないかなとか、車椅子の方がどうやって逃げるんだろう?ということを町の計画から一緒に話し合う機会をいただいたりしてきました。

なぜ、旅をするのだろう
大塚:肩書きって、疲れることがありませんか?肩書きが嬉しい時期と、しょうがない時期と、必要な時期とあると思うんですが、海外を旅していると「君ができることなんだ?」とは、あまり聞かれなくて、「君は何を大切にしてるのか?」「夢はなんだ?」って聞かれるんですね。それって、ものすごく自然なことだなと思っていて。何ができるできないのスキルの話じゃなくて、何が好きかとか、どんな生き方をしていきたいか?って聞かれるんです。だから、旅が好きです。旅の中で、メキシコで現地の方に泥を塗ってもらって泥まみれになったり、アイルランドで自転車とバスで巡っていた時は、ヨットに泊めてもらうこともありました。そのヨットのおじちゃんと、そして地元で出会った旅人と1週間ほど一緒に暮らしていた時は、常識とか、好きなものとか、信じてるものをよく語り合いました。日本にいる時には、これが正解だ!と思っていたことも、旅の中では不確かに感じたり、その不確かさが正しいとも感じたり。全部正解で、ある意味全部間違いだと思えるようになってですね、人から言われることにくよくよしていたら人生もったいないなぁと旅を通じて感じたんです。これまでに58カ国ほどを、ほとんど一人で旅してきましたが、場所にしばられない生き方は日本にいてもできる、心の問題だと思っています。

スーツケースひとつで暮らしながら
大塚:中くらいのスーツケースで1ヶ月過ごせるようにしています。拠点という拠点はないのですが、実家に荷物のほとんどを置いていまして、毎月荷物を詰めて、1ヶ月後に帰ってきて、「ただいま、お父さんお母さん」という感じで暮らしてます。実家の近くには、八女の茶畑があり、とても良い香りで気持ちがいい場所です。ここでジャズライブをしてみたいというのが、私の小さな夢です。あ、私は弾かないんですが、裏方としてやってみたいなぁというふうに思っています。八女には、映画のロケ地としても使われる、白壁通りという古民家の街並みがありまして、うなぎの寝床という有名なセレクトショップもあるのですが、とても情緒溢れる土地です。

国際色豊かな別府の懐の深さとあたたかさ
大塚:昨年のお仕事の中で特に思い出深いのが、大分県の別府市では創業支援の取り組みです。別府の鉄輪(かんなわ)温泉という地区は、一年中モコモコと湯けむりが立ち昇っていて、88湯の温泉を巡ると温泉名人になれます。源泉数は2300箇所以上で、湯量は日本最大。1回100円で入れる市営温泉が至るところにありますし、別府に住むと、自宅のお風呂で温泉三昧ということも(契約と費用は必要ですが)。そして、とにかく温かくて前向きな人が多い。
別府市の立命館アジア太平洋大学(APU)は、開学以来、152の国・地域からの国際学生を受け入れているのですが、まちに繰り出すと、色々な言語が飛び交っていて、国際色豊かな町なのです。ただ、ビザの関係などで、一度卒業して「ただいま」と戻ってくるのが難しい面もあり。卒業生たちに別府にまたいつでも帰ってきて欲しい!という想いで、市を中心に有志メンバーが立ち上がり、「ウェルカムバック・デイ」と掲げ、市民・学生大同窓会という大イベントを市公式で開催。そこに制作に参加したのが最初の出会いでした。
温泉名人の中でも、伝説的な名人、一際オーラを放つ「さっしー」と呼ばれる方がいます。市のイベントで「別府市の市長、さっしーです」とステージに現れて、市長が「いやいやいや、違うでしょ(笑)」というコントにみんなで爆笑するくらい、寛容な街です(笑)昔から裸の付き合いをしているので、初対面の人にも心の壁がないのだと思います。「観光地だから」という一言では表現できない温かさ。そんな別府の文化が大好きで、地元の皆さんに楽しみ方を教えていただきながら、別府に通わせていただいています。皆さん、ぜひ別府にいらしてください!

「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」
大塚:現在、私が企画を持ち込んで携わらせていただいているのが、「アイデアの実践場・くまはち温泉」というものです。別府観光の父と呼ばれる油屋熊八さんをご存知ですか?日本で初めてバスガイドの仕組みをつくった方で、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案し、このフレーズを刻んだ標柱を1925年に富士山山頂付近に建てたのをはじめ、全国各地に建てて回った人なんです。愛媛県出身の熊八さんは、日清戦争後に相場に失敗して全財産を失い、35歳の時にアメリカに渡り放浪の末、帰国後に別府で観光の基礎を築いた方。まさに「どうなっちゃうの?を、やっちゃうの!」という人ですね。創業支援も、何事も、楽しくやりたい。事業を進める中で、辛くなって心が折れることって何百回とあると思います。そこを誰と乗り越えるかという話だと思っていて、助け合う仕組みを別府でつくりたいと考えています。

和歌山県高野山で平和を祈る
大塚:みなさん、和歌山県高野山へ行ったことはありますか?高野山は、大阪の難波から2時間くらいの場所にあります。意外と近いと思いませんか?
この地域で開催された「地方創生会議」というイベントの運営制作に参加したのですが、せっかく来たからと思い、もう1泊滞在していたのです。すると、海外から数百人の修行僧がいらっしゃる平和を祈願するイベントを企画するから、コーディネートをしてもらえませんか?とお声がけいただきました。これはご縁だと思い、二つ返事でお引き受けしました。
僧侶の方々と日々綿密に打ち合わせを重ねながら、不眠不休の日々でしたが、たくさんのことを勉強させていただきました。

北九州市・門司港(もじこう)の短編映画制作
大塚:他には、北九州市の門司港で、短編映画制作の一部に携わりました。現在は、撮影が終わり、資金調達中の段階です。私はお仕事を決める際、どんな人の笑顔を見たいかということを判断基準にしています。昨年の春の終わり頃、疲れ果てて門司港へ辿り着いた時に、偶然辿り着いた「ポルト」というゲストハウス。その宿主が菊池さんという方で、今回の映画のプロデューサーなのですが、菊池さんに連れて行っていただいたお店のお母さんがとても温かく、可愛らしい方で。こんな温かい人になりたいなぁ、と心救われたのを覚えています。菊池さんが、お母さんが元気なうちに映画を撮りたいと動き出し、「私もお手伝いしたい」と、世界のフィルムフェスティバルをリサーチしたり、音響さん・照明さんたちのスケジュールを調整したりというようなお手伝いをさせていただきました。とても素敵な映画なので、ぜひ、皆さんにも見ていただきたいです。

社会起業家を育成するボーダレス・ジャパンのイベント
大塚:現在、「ボーダレス・ジャパン」というソーシャルビジネスを進める企業のイベント制作をお手伝いしています。「社会貢献事業」というと、NPOや一般社団法人など様々な形が浮かびますが、ボーダレス・ジャパンは持続的に事業が継続されるよう、知恵や資金をグループ内で共有しながら運営されています。社員はなんと1000名以上。その秘訣を知るたびに驚きますし、代表の田口さんや副社長の鈴木さんをはじめ、メンバーの皆さんが精神的にピュアで素敵な方達で。思想を持つボーダレスのような会社を、もっと知りたい、みんなに知ってほしい、と思い、「もっとこうするといいのでは」と素直に感じる部分をご提案していたら、3/20-21に恵比寿で開催される2,000人規模のイベントの事務局にお声がけいただきました。ちょっとプレッシャーでお腹が痛くなることもありますが(笑)皆さんが楽しく参加できるような取り組みにしたいと思い、日々企画作りに励んでいます。仕事の先に誰がいるか、どういう人たちの笑顔が見たいかということを考え、場合によっては無償でも参加しています。

会いたい人に会いながら、心が通じることをしていたい
大塚:「九死に一生」をこれまで5回ほど験していて、残り4回でしょうか?(笑)大切な人の死に出会ったり、自分が死にそうな経験をすると、自分が納得できる生き方をしなければ。と思います。
「わたしにとって拠点とは?」とスライドに書いてあるのですが、多拠点で生活しているつもりはなく、人生はあっという間なので、会いたい人に会いながら、自分の心が納得することをしていきたいと。家族が大好きなので、今は、父と母がいる福岡の実家があれば、私にはそれが一番です。ありがとうございました。

道内ゲスト: 合同会社Staylink 共同代表・柴田涼平さん(シバタ リョウヘイ )
北海道札幌市内に4店舗、小樽にて3店舗の計7店舗の宿泊施設を経営。「宿泊×〇〇」という文脈で、ゲストハウス内で学童保育、不登校向けの居場所づくりを展開。人が集まる場の創造を得意とし、北海道移住ドラフト会議、ゲストハウスサミット、ゲストハウス基金創設など、意義ある場の創造に奮闘中。
柴田:合同会社Staylink 共同代表の柴田涼平と申します。よろしくお願いします。飲めば飲むだけ、北海道の頑張っている人たちが応援されるということなので、皆さんで乾杯から始めたいと思います!
全員「どうなっちゃうの?を、やっちゃうのー!」(本日、二回目です。)

柴田:この1杯が、北海道の頑張る人たちの応援に繋がるみたいです。僕は、北海道最北端の稚内出身、1992年生まれの27歳です。サッカーのプロを目指していたのですが挫折をしてしまって、大学1年生の模索をしていた最中に、0から1を生み出すという経験をしてみたいと思いました。ただ、何もできなかったので、1年間休学をして旅をしたり、インターンシップをしたりと色々な経験を積む中で、友人から「一緒に起業しよう」という言葉をもらいました。それがきっかけで、僕は、企業への道へ進んでいくのですが、人がまた帰ってこれる場所をつくるということに興味を持ち始めます。最終的にゲストハウスという宿泊の業態へ繋がり、人を軸にしたビジネスを広げていくような会社になりました。新卒で起業し、ゲストハウスをつくり、経営を行なっています。6年目になりました。ゲストハウスという言葉を知っていますか?2年前のリクルート調べだと、ゲストハウスという言葉を知っている人は、日本人の人口の0.9%だといわれていました。100万人しかゲストハウスを知らなかったのですが、ゲストハウスという言葉が広がってきていると実感しています。少しずつ認知度が上がってきて、嬉しいなと思っています。

場を通して、人をプロデュースし、夢を実現できる社会を
柴田:Staylinkという会社には、ミッションがあります。場を通して、人をプロデュースし、夢を実現できる社会をつくる。こんな想いを持って、会社を経営しています。すべての人にとって、居場所がひとつ増えてほしいと、Staylinkのロゴの「i」はチェックインマークになっています。滞在し(stay)、繋がる(link)。その繋がりがずっと続いていく、そんな社会をつくりたいと思っています。宿泊施設を札幌で4棟と小樽で3棟、合計7棟の宿泊施設を経営しています。1号店のゲストハウスWayaは、北海道の方言の「わや」にかけてつくりました。僕らの原点でもあり、たくさんの人が集まる場所になっています。2号店の雪結-yuyu-は、旅や交流が苦手だけれど、ただゲストハウスに泊まってみたいという女性が安心して泊まれる宿です。3号店の説明は飛ばして、4号店は円山公園から歩いて3分の大通り沿いにTHE APARTMENT HOTELS YAMAをつくりました。個室2つだけの、ゲストハウスとは異なる宿です。人を通して、また帰ってきたい場所づくりは、もうできると思えたので、人を介さずにこのまちが好きになる、また帰ってきたいと思える仕組みを考えています。5号店では、小樽でクラフトビールが飲めるビアバースペースがある、泊まれるビアバーというお酒好きにはたまらない宿をつくりました。僕、お酒好きなのですけれど、日本中にある美味しいクラフトビールが飲めて、ローカルとゲストの人が交流できて、30秒歩けば寝れる至福です(笑)6、7号店の紹介は割愛させてもらいます。

ゲストハウスで始めた教育事業
柴田:宿泊事業だけではなく、教育事業もやっています。NPO法人 E - LINK、Education-linkということです。昨年10月に立ち上げたばかりなのですが、ひとつめがアドベンチャークラブ札幌といって、ゲストハウス内で学童保育を行なっています。待機児童問題の解決と、島国の日本では海外の人と身近に接する機会が少ないと感じていたので、ゲストハウスを使って世界に触れる機会をつくれないかなと考えました。新しい素敵な出会いが生まれたり、世界への視野が広がるということが日常的に生まれるゲストハウス内学童保育で、世界ではじめての取り組みです。もうひとつは、全国のゲストハウスと連動しながら、大阪の認定NPO法人で不登校向けに活動をしているPIECES(ピーシーズ)という団体と一緒に不登校の子たちの居場所づくりを全国のゲストハウスを通して行うというものを去年始めました。小中学校で不登校になっている子どもたちは、何人いると思いますか?いま、17万人弱いるといわれています。消極的な場合と積極的な場合のふたつの理由があります。学校なんて行かないで自分でYoutubeで学んでいくよというタイプの子。学ぶ幅も広がっているし、学校行かなくていいじゃん!という子は、たくさんいます。ただ、いじめや馴染めないという理由でいけない子も、たくさんいます。標準化を求められている日本の教育の中で、抜きん出てなにか得意な子っていますよね。うちの子達だと、ルービックキューブがものすごく速い子、スケボーがとても上手な子、車を語らせたら誰よりも喋れる子…といろんな特技を持っている子たちがいます。そうゆう自分が好きなことを伸ばした先に、自分の生きてく道が見つかることもあるはずだよね、と思っています。

住みたい、働きたいを繋ぐ。北海道移住ドラフト会議
柴田:あとは、このほっとけないどう事務局の五十嵐さんと共に、北海道移住ドラフト会議を行なっています。野球のドラフト会議の移住バージョンです。どうゆうこと?ってなりますよね(笑)北海道に住みたい、働きたいという人たちを「選手」と呼んで、うちのまち・企業に来てほしい!という想いがある自治体や会社を「球団」と呼んで、12の球団と前回だと32名くらいの選手たちがお互いにアピールをし合って、交流会を通して仲を深め合い、「球団」が「あなたが欲しいです」という既存の就職活動のアプローチ方法と真逆の仕組みをとっています。このまち、この会社に、あなたが来て欲しいんですという想いを伝えるエンターテイメントでもあり、みんなが北海道というキーワードで集まるのでめちゃくちゃ仲良くなります。選ばれた、選ばれない、球団、選手関係なく。北海道が好きで、北海道に対してパッションがある人たちが100人くらいガッと集まり、仲良くなって、その関係性がずっと続いていく関係人口の極みみたいなイベントを僕を含めた4名でやっています。

全国のゲストハウスの可能性を共に探る
柴田:ゲストハウスサミット、こちらは主催でやっております。全国のゲストハウスは、2000軒くらいあります。どんな職業でもそうだと思うのですが、同業同士ってあまり仲良くならないことが多いですよね?でも、同業同士仲良くなるからこそ大きな動きができたりだとか、抱いている疑問に対してアプローチができたりすると思うのですね。ゲストハウスサミットで連携の可能性を探ったり、新しい価値を生み出そうという動きをしたり、悩みを共有して改善するということをやっています。去年の2月に東京で開催した時には、120人のゲストハウスオーナーが全国から集まり、悩みの共有や連携の可能性を話しました。そこでいくつかのプロジェクトが生まれました。たとえば、ゲストハウス基金。災害時に場を提供した場所に対して、1日15000円を支給するという仕組みをつくりました。観光立国なのに、災害大国である日本が、おもてなしをうたってどう海外から来てもらうか?だけのマーケティング戦略で考えていて、どう帰ってもらうかを考えていない。これは結局、リピーターにならないから、観光は落ちていく。もし災害時になにか起きても、素晴らしい対応をして、災害があっても安心して観光できる国だよねということを思って帰ってもらうとまた来てもらえると思うんです。おもてなしの本質を考えたときに、どう来てもらうかじゃなくて、どう帰ってもらうかをつくる。そのひとつのアプローチとして、災害が起きたときの対応をちゃんと考えようと生まれたゲストハウス基金です。全国のゲストハウスオーナーが集まって、なにか一緒に仕掛けをつくっていこうというイベントです。

第二回ゲストハウスサミットは、札幌で開催
柴田:宣伝になってしまいますが、2/29(土)、3/1(日)に札幌でゲストハウスサミットを行います。2/29(土)は、オーナーだけの集まりなので一般の方は参加できないのですが、3/1(日)は、ゲストハウスの展示会という名前で、全国や北海道のゲストハウスオーナーがジョブキタビルへ集まり、ブースを設けてもらったり、セッションを受けてもらいながら、こんなオーナーがいるんだ、こんな宿があるんだ、こんな素敵なまちがあるんだ!ということを感じてもらって、好きな場所とまちが見つかったらいいなと思っています。参加費は、無料です。ぜひきてください。完全に宣伝なんです(笑)こんな感じで、一言でいうと、意義のあることの創造に魂を燃やしている会社です。よろしくお願いします。

二人のお話が終わったあとは、事務局メンバーや会場も交えて、より具体的に掘り下げたお話がたくさん出ました。地域を移動しながら愛し続ける秘訣、世界を旅して経験したあぶなかったお話、1年で100通の企画書というラブレターを書いたことetc...お酒やドリンクを楽しみながら、フラットな雰囲気で宴は続きました。目の前で生まれた偶然の出来事や出会いに対して、「ほっとけない」というささやかな愛から仕事を生み出していく姿勢が似ている大塚さんと柴田さんのトークは、拠点とつくる側と立ち寄る側という垣根を越えた可能性を感じさせてくれました。この続きは、また、どこかの会場で!次のほっとけないどうをお楽しみに。
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